28年前の今日、阪神淡路大震災が起きました。
編集長が生まれたのは、この未曾有の大災害から2ヶ月後に誕生しました。
当時の幼い編集長は、あの未曾有の大災害が自分自身の生まれた年に起きたことを分かるはずがなかったです。
でも、大人に近づくにつれて、阪神淡路大震災で起きた悲劇を思い寄せる機会に恵まれ、その時に感じたのは『心の復興』です。
一言で心の復興と言っても、物理的な復旧復興が進んでも、心の復興がいつできるのか。それは人それぞれの心の苦しみによって大きく異なります。
物理的な復旧復興が進んでも、心の復興がいつできるのかは分かりませんし、心の復興を目的で10数年以上から継続支援にあたる民間団体が数多くあります。当然、そこからの資金源は税金もしくは、民意による寄付でなりたっていることがほとんどです。
これが正解なのか、不正解なのかは見解が大きく別れるため、ここでしっかりと明記することができませんが、もし本気で被災者を寄り添い、その地で継続支援を続ける覚悟と本気があるのであれば、それは個人で決めた選択であって、それを反対する意志はありません。
編集長はその選択があなた自身が決めた選択であると理解し、それを勇気持って送り出します。でも、その選択が被災者の心を苦しめたり、被災地域で大きく迷惑を行うならば、公的機関を使ってでも、必死に止めます。その選択が大きく間違っていることを示すためです。
言葉では言えないけども、長年、災害復旧や継続支援で誠心誠意活動する方々を見ていくと、それを長く継続することであたかもその人の精神が正当化するかのように見え、その答えが正解であるかのように示すのは、正直それは真実かどうかを問いただしたいです。
それは本当に必要な支援であるのか。その支援は心の復興につながるだろうか。
阪神淡路大震災が発生して以降の日本の自然災害で心の復興が大いに役に立ったのか。そのような事例が一切、全てのところから聞こえていないため、『心の復興 = 心の甘え』とはっきり証言することができますし、まず、自然災害で被災者となったら、心の復興と物理的復旧復興を進めると同時に、被災者自ら支援者の伴走がなくても、被災者自身の独立・自立ができるよう、より具体的な復旧復興のより迅速でより効果的な実行力で自然災害からの復活を私たち国民一人ひとりが必死に考えて実行を移すべきではないでしょうか?
阪神淡路大震災から28年、心の復興がまだできていないと言い切るならば、もういい加減に被災者自身の独立・自立を後押しする活動をするのがより効果的な【心の復興支援活動】ではないでしょうか。
なぜ、このような長文をはっきり書くことができるのか。それは、編集長自身も自然災害に見舞われた経験があり、自然災害による復興復旧作業を長期間、活動した実績があるから、こうして堂々とはっきりと書くことができるんです。
読者のあなたは、心の復興の復興をどう思いますか?なかなか心の復興が進まない現実をどう感じますか?どう改善に結びつけますか?これはあなたに課せられた課題です。我のことであると考え、次なる自然災害の備えに役立てたらと思います。
阪神淡路大震災から28年に強く哀悼の意を示します。黙祷。。。